国道16号線−典型的な日本の郊外として知られるこの道路の沿線は、80年代後半から、社会を震撼させる事件が頻発し続ける、犯罪多発地域でもある。その理由は何か、国道16号とはどのような道路なのか。ネット心中や若者のメンタリティを数多く取材するルポライターが、豊富なフィールドワークで沿線住民の心象風景や消費行動をもとに、その実態を明らかにする。
1本の道路から、日本社会が抱える闇が見えてくる−−。
(配信 情報センター出版局)
第2回 宮崎事件とR16
 前回は、R16(国道16号線)の特徴、特異性を、地理的・歴史的背景、沿線住民の心象風景から説明した。今回からは、沿線で発生した犯罪(R16的犯罪)を、ひとつずつ検証することで、R16という道路についてさらなる考察を深めていきたい。今回とりあげるのは、その残虐さと犯人の偏向した趣向で日本中を驚かせた、宮崎勤死刑囚による、「連続女児誘拐殺人事件」である。この事件は、その後の日本社会と国民をどう変えたのだろうか。



◯R16的犯罪としての連続女児誘拐殺人事件

 「遺骨入り段ボールを入れたのは、この私です」。
 1989年2月10日、朝日新聞東京本社に、宛名が「社会部様」、差出人が「所沢市 今田勇子」の封書が届いた。その中にはB4判の「犯行声明」が入っていた。様々な臆測が流れ、数々のコメンテーターがメディアに露出し、プロファイリングをしていく。
 1988年8月22日、埼玉県入間市春日町の女児(4歳)が行方不明になったが、声明にある「遺骨」はその女児のものだった。段ボールは声明が届く4日前に女児宅の玄関前に置かれていた。
 いわゆる、「連続女児誘拐殺人事件」の最初の事件だ。現場は西武池袋線の入間駅から徒歩圏内で、R16から数百メートルの距離にある。事件の犯人で、犯行声明文を送りつけた「今田勇子」こと、宮崎勤死刑囚(確定)は、青梅市の総合病院で生まれた。生まれながらの「R16っ子」で、秋川市と五日市町が合併してできたあきる野市で育った。
 宮崎の実家(旧五日市町)付近は、のどかな山村かのような風景で、現在生家は駐車場となっている。高校は明治大学付属中野高校。最寄り駅の東中野駅までは片道2時間はかかっていた。
 宮崎の父親は、印刷会社・新五日市社の社長で、新聞折り込みのチラシ広告を印刷しながら、1957年に週刊「秋川新聞」を創刊していた。祖父は村会議員、父親は町会議員を勤める等、政治的に力があった。事件後、父親は自殺している。
 あきる野市から誘拐現場となった入間市まで行くには、もちろんR16を通過しなければならない。宮崎は女児に「涼しいところにいかない?」と声をかけた。移動には日産ラングレーを使っていた。八王子市内の山林まで行ったが、泣き出したため、絞殺した。犯行現場の八王子までもR16を使ったのだろう。
 遺骨の一部を送りつけ、犯行声明を出したことは、「グリコ森永事件」以来の劇場型犯罪だった。手足の骨は、生家近くの、旧五日市町の山林で発見されている。まさにR16を行き来した犯行なのだ。
 続いて、88年10月3日。埼玉県飯能市下赤工に住む小学1年の女児(7歳)が行方不明となった。自宅そばの小学校から帰宅後、すぐに遊びに出かけた。「道がわかんなくなったので教えてくれるかい?」と宮崎が女児に声をかけた。
 その後、ラングレーに乗せて八王子市内の新多摩変電所まで移動した。その後、日向峰まで徒歩で行き、絞殺した。この犯行現場まで自宅からはやはりR16を使うしかない。そして、最初の事件現場・入間市を通過して飯能市に入るルートだ。
 さらに、12月9日には、埼玉県川越市古谷上の団地内で、寒いところを歩いていた女児(4歳)に「あたたかいとことに寄っていかない?」と宮崎が声をかける。ラングレーに乗せるが、途中の正丸峠付近で女児が泣き出したので、入間郡名栗村(現在、飯能市上名栗)の県立少年自然の家(現在、名栗げんきぷらざ)の駐車場で車を止める。
 ヒーターで車内が暑くなったので、「お風呂に入ろう」と言うと、女児が自ら服を脱いだ。宮崎はストロボ写真を撮ったが、再び泣き出してしまったので、絞殺してしまう。川越市古谷上はまさにR16上にある。殺害現場の名栗村まではR16のやや北の国道299号線で行く。
 また、89年6月6日の女児(5歳)誘拐は、一連の事件の中では、唯一R16ではない現場・東京都江東区。宮崎は「テニスをしている女性のパンティ(スコート)を撮影しよう」と、都立有明テニスの森に行ったが、定休日で誰もいなかった。近くの東雲小学校の校庭で遊ぶ幼女のスカートの奥をビデオ撮影したことがあったため、付近を移動していた。
 そこで女児を発見し、「写真を撮らせてね」と声をかけた。何枚か撮影した後、車付近や車内でも撮影。女児が後部座席に移り、チューインガムを与えると、女児が宮崎の掌がまっすぐ上を向かないことをからかった。宮崎はカッとなって、その場で絞殺した。五日市の自宅へ帰るために、晴海通りを経た青梅街道へ。その途中、レンタルビデオ店で8ミリビデオを借りて、自室で遺体を撮影した。
 レンタルビデオ店はもともとレンタルレコード業から端を発している。家庭内でレンタルビデオを見るようになった80年代から爆発的に増加する。宮崎もそれを利用する若者の1人。ビデオはこの一連の事件のキーとなっていく。
 この女児の遺体を持った宮崎は、R16を利用して飯能市の宮沢湖霊園に行き、園内に胴体部分を、自宅前の御岳山へ両手首、両足首を投げ捨てた。頭蓋骨は奥多摩町梅沢へ行き、吉野街道脇の山林に捨てた。
 そして7月23日。宮崎が現行犯逮捕される強制わいせつ事件が起きた。三鷹市で幼女をビデオ撮影。世田谷区烏山のテニスコートでプレー中の女性を撮影。帰宅途中で、八王子市内で9歳と6歳の姉妹を見かけた。妹に「裸になってね」と声をかけ、ワンピースを脱がせ、性器を露出させていた。父親が駆けつけ宮崎 を捕まえた。帰る途中のこの現場付近もR16を通過するポイントだった。
 一連の連続幼女誘拐殺人事件は、連れ去り現場、殺害現場、遺棄現場などがR16か、利用したルートの中だ。宮崎は、かなりの距離を走行している。88年5〜12は月平均1,500キロ、89年からは1,940キロで、日本自動車工業会の調査による自家用車の月平均630キロを遥かに超えた。まさに、「R16的犯罪」と言える。その特徴である「標準化」はどこに見え隠れしていたのだろうか。
 
◯「おたく」の一般化

 この一連の事件をきっかけにして、「おたく」という言葉がマスメディアに流通した。宮崎の部屋にも、6000本近いビデオがあったことが報道された。ホラービデオおたくだったことがいわれているが、報道された写真では、アダルトビデオや盗撮もの、ロリータものがほとんどという印象があった。
 しかし、最初に部屋に入ったとされる警視庁記者クラブの記者が、大半のビデオは『男どあほう甲子園』や『ドカベン』等のアニメで、雑誌も男性誌のアイドル雑誌「GORO」やグラビア誌「スコラ」がほとんどで、「誤ったイメージが流れた」とブログ「格闘する読売ウィークリー編集部」(05/11/12)で書いた。それが話題になり、のちに削除されている。
 「おたく」は、ある種の趣味に詳しい人たちをさすが、もともと「ビョーキ」という言葉があった。しかし、コラムニストの中森明夫氏が1983年、日本で二番目のロリコンコミック誌『漫画ぶりっこ』の連載『「おたく」の研究』の中で、アニメや漫画の愛好家が、「あなた」等の意味の二人称として「おたく」を使っていることから、そうした人たちを「おたく」と呼ぶことを提案していた。

 <まあ普通、マニアだとか熱狂的ファンだとか、せーぜーネクラ族だとかなんとか呼んでるわけだけど、どうもしっくりこない。なにかこういった人々を、あるいはこういった現象総体を統合する適確な呼び名がいまだ確立してないのではないかなんて思うのだけれど、それでまぁチョイわけあって我々は彼らを『おたく』と命名し、以後そう呼び伝えることにしたのだ>(83年6月号)

 <この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達を『おたく』と名づけるってとこまで話したんだよね。『おたく』の由来については、まぁみんなもさっしがつくと思うけど、たとえば中学生ぐらいのガキがコミケとかアニメ大会とかで友達に「おたくらさぁ」なんて呼びかけてるのってキモイと思わない>(83年7月号)

 のちに、同誌編集長の大塚英志氏が雑誌リニューアルの際、中森氏の連載を打ち切るが、
「正直に告白すれば彼の『差異』の実証に傾ける情熱がうまく理解できなかった。ぼくは『おたく』を『差別用語』として批判し(この頃からぼくは『戦後民主主義者』としてふるまっていたというわけだ)彼の連載を打ち切ったが、・・・」(『おたくの精神史 一九八〇年代論』 p40-41)
 と、心情を述べている。
 その83年は「八〇年代的事象が一斉に時代の表層に現れた年」(同書、p16)だった。中森氏は1959年生まれの明大中野中退。宮崎 は1962年生まれの明大中野出身。中野は秋葉原に次ぐ「おたくの聖地」であり、「おたく」=宮崎=の心情を、その周辺にいた中森は感じ取れるポジションにいたということか。ちなみに83年には、宮崎は21歳になっている。
 アニメはこの時代、大量に生産され、消費される状況で、その一つの要因として、レンタルビデオ店での供給もあった。家庭内にビデオデッキやオーディオセットに入ってくるのが一つのステータスだった。と同時に、ファミリーコンピューターが登場する時代でもあり、自分ひとりで部屋の中で遊ぶことが可能になっていく。
 宮崎はビデオマニアで、ビデオのダビングをして貸し借りをする「ビデオクラブ」の会員になっている。部屋には4台のビデオデッキがあり、録画とダビングを繰り返していた。しかし87年12月、ビデオクラブを除籍される。
 おたくはなぜか、一般社会の人たちと接点が希薄というイメージが強い。一人もくもくと作品を鑑賞しているかのような想像ができてしまう。事件後、宮崎=「おたく」=犯罪者予備群かのような扱いを受ける(宮崎が真に「おたく」だったのかどうかは意見が分かれる)。
 宮崎は89年3月26日、晴海の見本市会場で開かれたコミックマーケットに参加、「マンモスコング、月光仮面」を出品していた。逮捕された直後、TBSのレポーターがコミックマーケットに集まった若者たちを指し、「ご覧ください。ここに10万人の宮崎勤容疑者がいます」と発言し、非難を浴びた。
 そんなイメージを払拭しきれないまま、様々なジャンルで「おたく」とされる人たちが誕生していく。しかし最近になって、おたくは一つの生き方として受け入れられ始める。2ちゃんねるのスレッドから誕生した物語「電車男」は、おたく青年も脳内恋愛(脳内のイメージで作られた人との恋愛)だけでなく、実際の女性にも恋をし、人並みに悩む姿が描かれる。純愛物語としての形だが、おたくが好意的に評価されるきっかけとなった。
 おたく産業のひとつとしての「メイド喫茶」も、もはやおたくだけのものでなはなく、観光ルートのひとつとして、またはデートスポットのひとつとして認識され始める。おたく文化が時代の先端を走っていることの象徴だ。そして、2兆円市場までふくれあがった「萌えビジネス」として、もはや日本経済には欠かせなくなっている。

◯精神鑑定 事件の心理学的物語化

 また、この事件が産み出したのは「事件の心理学的な物語化」だった。 現在、「理解できにくい」犯罪が起きると、弁護側は「精神鑑定」を主張し、メディアでも精神科医や心理学者が容疑者(もしくは被告)の心理分析をするのが、当たり前のようになっている。秋田で起きた小学男児殺害事件で逮捕された容疑者が性格なども心理学者やコメンテーターらが、メディアで流された情報を元に心理分析していた。
 そうした姿に違和感がなくなってきたのはいつ頃からなのか。それは、この連続女児誘拐殺人事件の、宮崎の精神鑑定が話題になってからではなかったか。
 裁判では初め、「共同鑑定」(保崎秀夫・慶応大医学部教授ら6人)が行われた。最初の鑑定では「性格の偏り(人格障害)によるもので、精神分裂病を含む精神病様状態にはなかった」として、人格障害との鑑定だった。
 しかし、犯行時には「ネズミ人間」が現れたとの発言があったこと等から再鑑定が請求される。その第2次鑑定(内沼幸雄・帝京大文学部教授ら3人)では、診断が2対1に別れる。内沼・関根善夫(東大医学部助教授)は、「離人症およびヒステリー性解離性症状(多重人格)を主体とする反応性精神病」と、中安信夫(東大医学部助教授)は「精神分裂病(破瓜型)」となった。
 裁判での最大の争点は、この3つの鑑定書の扱いになった。裁判長はどの鑑定書を採用するのか。それによって、事件は理解可能になるのか。結局、河辺義正裁判長は「人格障害」の鑑定書を採用し、責任能力を全面的に認め、死刑を言い渡された。そして、2006年2月、最高裁は訂正判決申し立てを破棄。死刑が確定した。
 宮崎の起した事件は、判決によって「理解可能な」ものになっていったのだろうか。いや、人格障害によるペドフェリア(児童性愛者)の事件として処理されてしまう方向になっているのではいか。果たして、宮崎は人格障害だったのか。それとも、いまなお関心の対象でもある「多重人格」だったのか。
 また、なんらかの人格障害や精神障害だったとしても、それらの症状と一連の事件はどのように関連していたのか。結局、なぜ、この事件が起きたのかは分からぬまま、裁判は終わった。
 その関連性が曖昧なまま、事件を理解する方法が、人格障害や精神病の枠組みで語られていく。こうした見方は他の事件でもなされることが多い。
 たとえば、大阪教育大付属池田小学校乱入事件の宅間守死刑囚(執行済)や、奈良女児誘拐殺害事件での小林薫被告等の成人が起した事件だけでなく、神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗や、佐賀バスジャック事件での「ネオ麦茶」、長崎・佐世保小六同級生殺傷事件の加害女児の場合も、精神鑑定に注目が集まった。
 こうして事件を「心理学」や「精神医学」の枠組みで語る方法は、「理解不能」な犯罪を「社会問題」というよりは、「個人の問題」として扱われる状況を産み出す。少なくとも、メディアを中心とした犯罪の語り方は、そうした方向になってきている。まさに、そうした「事件の心理学的な物語化」は、この一連の事件が「標準化」したものなのだ。
 

 参考文献
 佐木隆三『宮崎勤裁判』朝日文庫 1995.5
大塚英志『おたくの精神史 一九八〇年代論』 講談社現代新書 2004.2
 サイト「無限回廊」の「宮崎幼女連続殺人事件」の項
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/miyazaki.htm
 サイト「不可視型探照灯」の中の「事件報道のリソースに『恣意的な映像』を加えていたマスコミ、それを黙認するマスコミ」の項
http://erict.blog5.fc2.com/blog-entry-165.html
 サイト「漫画ぶりっこの世界」の中の「おたくの研究」
http://www.burikko.net/people/otaku02.html
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by webmag-a | 2006-07-07 22:35 | 宮崎事件とR16