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国道16号線−典型的な日本の郊外として知られるこの道路の沿線は、80年代後半から、社会を震撼させる事件が頻発し続ける、犯罪多発地域でもある。その理由は何か、国道16号とはどのような道路なのか。ネット心中や若者のメンタリティを数多く取材するルポライターが、豊富なフィールドワークで沿線住民の心象風景や消費行動をもとに、その実態を明らかにする。
1本の道路から、日本社会が抱える闇が見えてくる−−。
(配信 情報センター出版局)
千葉市・幼妻殺人事件-2
○ 大規模宅地開発とモノレール

 裕子さんは1986年12月生まれ。千葉市若葉区千城台西の市営住宅で育った。2000年には近くのマンションに引っ越している。
 若葉区は1963年に千葉市に編入された農村地帯だった。その後、70年前後から、若葉区内で大規模住宅団地が整備されていく。88年になると、千葉年モノレール・タウンライナーが整備され、スポーツセンター〜千城台間が開通する。現在では、JR千葉駅を経て、県庁前駅まで開通している。

 今回の取材では、JR都賀駅から乗り換えたのだが、周囲の風景に違和感を覚えた。なぜ、この街にモノレールが必要だったのだろうか。たしかに大規模住宅団地の開発があり、人口増加に備えて、交通手段は必要になる。しかし、それがバスでもよかったはずで、あえてモノレールにしているのが不思議だった。

 裕子が生まれ育った時代は、こうした大規模住宅が整備され、モノレールが開通し、R16という郊外の、さらにその郊外が整備されていった。
 モノレールの終点・千城台駅は長崎屋が隣接。周囲には市営住宅や一戸建て住宅が整備されている。その住宅地の中に小学校や中学校、高校までも配置されている。まさに、「作られた街」だ。千城台西の市営住宅もそうした場所にあり、一戸建て住宅との収入格差を感じさせる。商店街も、コンビニやファミリーレストランでさえ、同業他社は少なく、共存共栄を思わせる雰囲気だった。

 そんな街の印象は、画一化、均質化された平面的なもの。「よい学校、よい就職、よい結婚」という共通の目標を設定された高度経済成長期には、最もよく機能するのではないかと感じた。
 しかし、目に見えるところにある「善」から、一歩「悪」に踏み入れると、周囲からは排除され続けるような街でもある。そうした「悪」の道へ踏み出すきっかけは些細なことだった。中学3年夏で、入部していたハンドボール部生活は終わった。それで暇となり、悪の扉を開いた。

 「中学三年の平成一三年七月末に行われた大会で負けて、彼女のハンドボール部生活は幕を閉じる。それが引き金だったのだという。彼女の心にぽっかりと穴があいた。することがなくなり、時間を持て余した彼女は、親友と競い合うように悪に染まっていったのだという」(「千葉16歳少女殺し全真相」『新潮45』2003.12)

 この記事の表現はやや単純化しすぎではあるが、誰にでも起きる可能性がある「悪」への道だったことを表している。それを示すかのような風景が、裕子が亡くなる直前まで働いていた飲食店の場所だ。
 プチキャバ「ピュアローズ」は、ヌキキャバとも言われており、飲食店というよりも風俗店だ。この店は、小学校の目と鼻の先で、長崎屋にも近い。
 住民にとっては生活圏のはずだが、「善」と「悪」が両立している。普通なら、反対運動でも起きても不思議ではないが、「悪」には見て見ぬふりだったのだろうか。「悪」は明確に区別され、排除されていたのだろう。

 千葉県警の捜査員の話として、次のような話もある。

 「都市近郊の新興住宅地街はきれいで安全というイメージがあるけど、実は違う。不景気で実入りが少なくなったヤクザが若いモンの食いぶちを稼ごうと、こんなところにまで風俗店をオープンさせるようになった」(『「千葉・少女焼殺事件」でついに露呈した新宿・渋谷を凌ぐ“16号沿線都市”のケダモノぶり』『週刊プレイボーイ』2003.10.28)

 たしかに、R16的な地域では、都心部の規制が厳しくなったこともあり、キャバクラや風俗店が進出している。この千城台でも例外ではなかった、ということか。

 裕子は、自分の殺害の主犯格になる石橋広宣=殺人等の罪で無期懲役による服役中=と中学時代に出会う。そして広宣の友人Bと裕子が付き合うようになり、広宣と裕子は行動を共にすることが多かった、という。
 あるとき、裕子はモノレールの中で、広宣の前妻Cの妹Dを通じて知り合ったEと再会。連絡先を交換し、遊ぶようになって、そこに広宣がからむことが多くなってくる。モノレールがつなげた縁がその後に影響する。
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千葉市を縦断するモノレール。なぜ、モノレールでなければならなかったのか。
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by webmag-a | 2007-02-15 23:17